学生気分というより、ママゴトの続き。

高校時代のネッ友が就職した。

彼とは同い年で、近くの地域の高校に通っており、リアルで遊ぶこともあった。
お互いに受験に集中するためにネットを去り、それっきりだったのだが、
私がUターンしたこともあり、今年の夏に彼の家に挨拶に行った。
彼の家庭はいわゆる毒親家庭で、彼の鬱が深刻化しており、その当時は生活保護をもらいながら神戸で暮らしていた。

そんな彼が、川崎で仕事を見つけて、先月に就職した。
出勤一日目の感想は「なんか働いている現実感がない。学生気分が抜けない。」だった。


去年の4月1日に僕も同じことを思った。
僕なんかよりも、よっぽど博識で、思慮深い彼ですら、そう思ってしまうのか。


社会人ではなく、未熟な学生として僕たちに接するのが、会社側にとって最大限の譲歩なのかもしれない。

一般的な新入社員は学生気分ではない。
ママゴト気分なのだ。


昨年の秋、同じ大学出身の新入社員同期から、高学歴・親の七光りな同期たちの飲み会に誘われて参加した。
名刺交換から始まり、弊社の未来について熱く語り合う。

彼らは、中庸的に語ろうとするが、国語の部分点狙いみたいな抽象的で薄い内容の話しかできない。具体例が全くない、どっちつかずの意見なので情報量がゼロ。
きっと、彼らは本を買うだけ買って満足する優等生(笑)タイプなのだろう。

たとえば、岸田元総理を絶賛するような話題で盛り上がっていたので、私は「彼のエネルギー政策は、ウクライナ問題等の地政学的な背景があったからこそだ。」とあえて、ひねくれた指摘をしてみた。
回答は「やるか、やらないかは全く違う。岸田だからこそやってくれたのだ。」

想定通り、お金と時間のムダだった。
曲がりなりにも、新入社員の中では優秀というレッテルが張られている部類なのに、浅い思考しかできないことを残念に感じた。


学生=高等教育を受けた人間ならば、データと論理のない会話に満足していいのだろうか。
主観的に問題を考えているつもりだろうが、上司や社会の顔色を窺うことで報酬系を形成しており、誉められる答えに乗っかているだけだ。ゆえに、答えに至る道筋を知らない。
そして、救いようのないことに、「会社の未来を語り合う会」は定期開催されており、互いの承認欲求を満たす場となっている。まるで、幼稚園児のままごとのように、自身を優秀な経営者と思い込んでいる。


思考力と知識の欠如を自覚しているようで、本心では理解しておらず、プライドだけ一丁前に高い新入社員なんて、扱いにくいことこの上ない。



上司にとっても、新入社員教育が自身の業務を減らす手段になるが、教育には時間がかかるので、後回しにされがちだ。
厳しいことを言えばパワハラとして罰せられたり、SNSで炎上するおそれがあるので、絶対に叱らない。


闇教育への認知が広がり、あるがまま(=わがまま)の子育てが行われた末路。
教わる側の能力不足と教える側の無気力が合わさった結果、僕たちは「なんか働いている現実感がない。」と感じてしまう。

ただ、ままごと気分の奴らと違って、僕たちは頭が悪くて死にたくなるような気分を、幼少期から何度も味わってきた。
一様に、未熟な学生様として扱われることに腹立たしさを感じる。
家庭と社会への忠誠と服従を刻み込まれた僕たちのこれまでが無駄だったと気づいたとき、闇教育の残滓すら美化しようとしてしまう。

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