能力至上主義の副産物的な価値観が働きづらい環境をつくる

私は不真面目で不出来な生徒だった。 授業で習った内容はすぐに理解できるが、宿題を全くやらないので、問題集の類題が出題される定期試験ではいつも低い成績で、教師やクラスメイトからはなめられていた。 とある模試で全国一位になったときは、教員から「まさか君が一位を取るとは、何かの間違いかと思った。」と言われた。

そんな、私でも「自分は頭がいいな。」と感じる出来事があった。

 

中学3年生の夏、修学旅行のホテルの注意に関する説明で「クーラーをつけたまま部屋をでないこと」なんて当たり前のことを教師が延々と言ってるから、欠伸をして寝たふりをする。

話を聞かない僕にムカついて「さっき言った注意点をもう一回説明しろ」と教師は言ってくる。 「オートロックで扉が閉まるから、鍵を持たずに部屋をでないこと、、、でしたよね?」 なんて、説明の穴を突いてクラスの笑いを取る。


頭の良さには場面に応じた基準がある。 教育の中で培った頭の良さ、エスプリの効いた一言を言える頭の良さ、友人と楽しい時間を過ごすための頭の良さ、研究で成果をあげる人の頭の良さ、会社で上手くやっていくための頭の良さ。頭の良さには多面性と多層性がある。 ある場面では標準側にいても、別の環境では異常かもしれないように。

ただ、それを理解していない人が思いの外多いことに気づかされた。

 


「優越したいと願うものは、深淵を作ってしまいます。高山には幽谷が対応します。まだ残っているのは、海。崇高な岩にして石化して不動となった流体は、確固たる大地に縁取られて、塊となって生き残っているのです。」

リュス・イリガライの『基本的情念』の一節だ。 各々の自分勝手な見栄が光の届かない場所を作っている。

会社はどんな形でもやり直しの機会がある共同体であってほしいと私は思っている。 社会的な罪を犯したわけではないのに、苦悩にみちた感情労働を強いるような環境で働きたいとは思わない。

私の勤める会社はそんな理想と相反する場所だ。 上司や周りから低い評価をされた社員は出世や異動することができず、その部署に留まり続けることになる。 社員の適性が業務内容や部署の雰囲気とマッチングしないことも一因であろうに、会社は挽回の機会を与えず、周りの人間は陰口を言って彼らの居心地の悪さを加速させる。 逃げ場はないので耐え続けなければならない。

 

私は陰口を言う大人が存在することに驚いたが、どうやら珍しくないらしい。

仕事を任されるようになった同期が、調子に乗って職場の特定の人を「仕事ができない奴」と馬鹿にし始めた。 新卒の同期たちが数ヶ月で悪意に便乗してしまうんだから、会社だけじゃなくて田舎の風土に根ざす悪習なのか。 生まれてから一つのコミュニティに属している人たち。

I’m fed up with your big head anymore!

余談だが、仕事がなくて暇な私も馬鹿にしたい対象らしく、用もないのに私の部署に来て、私の先輩や上司と談笑する。私のことをニヤニヤ見ながら。 私の学歴が高いから、何かにつけて張り合ってくる人もいる。 彼らの自己顕示欲と承認欲求を満たしておだててやることに疲れている。


アニメ版『亜人』で主人公の永井が吐きだす

「どいつもこいつもバカばっかりだ」

という台詞が好きだ。

合理的に生きる永井にとって、感情に流されて選択を誤る他人のせいで上手くいかない憤りと、感情を捨てきれない自身への複雑な感情の吐露だ。

 

「有能だと思われたい」「他人より優れた自分でありたい」「自分よりも出来ない人がいると安心する」という能力至上主義の副産物的な価値観に嫌悪感を抱く一方で、 まだ私もその価値観に縛られている。

こんな愚痴を言わなくても済むような居場所を勝ち取る努力が足りなかったのだろうか。 私は他人を軽んじる大人たちに失望している。

 

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